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コラム『家族だって他人』第45回 パッケージされる体験たち 


 「お金で買えない価値がある。○○な体験(時間)、プライスレス」

というCMが一時期はやり、その後、経験を大事にするという価値観が広まったような感じがある。その証拠に、体験型アクティビティに人気が出て、体験型観光などが売り出されてきた。

 パソコンやゲームというIT機器が主流になりバーチャルな世界が発展し、コロナ禍の元、外に出て人に会う機会が減り、ますます体験・経験というものの価値が上がってきたようだ。

 心理学の世界でも、「今、ここで」に焦点を当てるフォーカシングや、目の前にあるものを味わったり瞑想したりして、あるがままに受け入れるマインドフルネスに、目が向けられるようになった。

 体験に価値を持たせる考えと、体験したものを価値判断せずにありのままに受け入れるという考えは、体験に意味を見出すか、体験の意味を考えずそのものをただ味わうかという違いがある。ただ、方向性は逆なものの、体験に目を向けているという点では、同じかなと思っている。

 昔から、「百聞は一見に如かず」という、ことわざがあるように、自ら体験してみること、経験してみることの重要性は明らかだ。小さな幸せは、あなたの隣にありますよと言われないと、チルチル、ミチルの青い鳥のように、すぐそばにあっても気づかないというのも世の常である。

 しかし、体験は大事と言われ、体験そのものに商品価値がつけられ、パッケージ化され売り出されると、まるでそれは、買わなければ手に入らないもののように見えてしまわないか。

 家族旅行などは、その最たるもので、

「子どもに『スペシャル』な時間を持たせてあげたい。」

「色々体験させてあげたい」

と思ったりすると、大人はついつい、大掛かりに予定を組んでしまいたくなる。そして、そんな予定を立てることが、時間的に金銭的に難しかったりすると、諦めることになりやすい。

 しかし、実際のところそうだろうか?

 私も子どもが小さい時、仕事で忙しくて時間が取れないからと、やっと取れた休みに外食だったり、テーマパークだったりに気合を入れて連れていったこともあったが、今、改めて話しを聞いてみると、子どもが覚えているのは、「ピクニック」と称し近所の公園に行ってレジャーシート広げて、作ったおにぎりを一緒に食べていつも通り公園で遊んだ記憶だったりする。

 せっかく遠出して連れて行った動物園でカピバラやコアラを見たことよりも、毎日の散歩道で一緒に見た電車やバスのことの方を覚えていたりする。

 そう思うと、親子の時間や家族の時間は、別にパッケージされなくても良いんだろうなという気がする。もちろん、いつも行かないところに行くことも子どもらは楽しみにするけれども。それだけが全てはない。

 パッケージされてデコレーションされた体験や経験。ついその盛られた広告に目がくらみがちになるけれども、私たちの家族だけの経験は、親子の時間は、夫婦のやりとりは、おじいちゃんおばあちゃんとの思い出は、もっともっと身近なところに、ささやかなところに、自分たちのスペシャルとして、ささやかに存在するのではないだろうか。

                         (文責K.N)

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