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コラム『家族だって他人』第26回 心と言葉と行動と  


 心とは何か。

という問いは心理職なら誰しも、心理学を学ぼうとするその入り口で問われたことがあるのではないだろうか。心理職でなくても、考えたことくらいはあるかもしれないけれど。

 心とは何か。

学派によっては脳機能の産物であり、行動の結果であり、生まれ落ちた頃から育てられるものであり、あるいはそれらすべてを折衷したものということもある。

 では、心というものが存在するとして、その形状はどんなものだろう?
それが私には最近わからなくなっている。クライエントの心の内を聴くのがカウンセラーの仕事だが、仕事外でももちろん話を聴いたり話をしたりすることは無限にある。

 といっても、今回は心理職にまつわる難しい話ではない。家人とのやり取りで体感した話である。

 たくさんの人と話をしたり相手の話を聞いたりしながら、これまで私は、人の心は果実のようなもので、一皮むけば繊細で傷つきやすい実があって、その中心には芯たる種が大切にしまい込まれているものだと思い込んでいた。そこに触れる手段として言葉があり、だからこそ心も言葉も丁寧に丁重に扱わなくては、と思っていた。

しかし。

 どうもそうでもない人もいるらしい、と最近気づいた。家人のお陰である。家人からは、私がイメージする「心」ではなくまるで玉ねぎのように、後から後から「心」が込められた「行動」が現れてくるのだ。その、いわば玉ねぎタイプであるところの家人は、ほとんど何も語らずにただ行動する。私にしてみれば、起承転結の結から見せられているようで混乱する。しかし家人からすると行動のモチベーションが心であり、心とは行動だから、言葉にしてわざわざ語るものではないらしい。だから、私は家人とコミュニケーションを取る時、時々とてももどかしい思いをする。あなたの思いはどこにあるのか。今何を思っているのか。聞くと相手は言葉で返してはくれる。しかしそれがどうにも言葉「だけ」のような錯覚に陥るのだ。

 例えば愛犬との散歩について。私は基本的に、うちの犬のことを他人に話す時には「うちの犬」と呼ぶし、親しい人なら「みこ」と彼女の名前を出す。

 無論、散歩に行く時には「みこの散歩行ってくる」と家族に告げる。
しかしである。家人はいつ誰に対しても「犬の散歩行ってくる」というのだ。いやそこはみこの散歩でしょう、犬と言えど家族の一員だし。と何度突っ込んだことか。しかしそのたびに、家人はキョトンである。曰く「みこは犬でしょ」。いや犬だけど。犬だけどさ、と思うのは私のみこへの思い入れがすぎるのだろうか。

 では家人がみこを愛していないかと言えばそうでもない。見ているとちゃんと愛しているようだ。彼女が寝そべっている側を通りかかる時には必ず声をかけ撫でているし、散歩に至っては何なら私よりも行く頻度が高い。先日など、動物病院を予約しておいて私が行けなくなった時には、仕事を調整して通院してくれた。ついでに、みこがいない時に出先で可愛い犬と出会っても、家人は決して触ろうとしない(ちなみに私はよそ様のわんこともいちゃつきまくりである)。ここまで書いてみて思ったが、家人はめちゃくちゃみこを愛でている。

 心が動いている結果としての行動。なるほど。とは思うのだが、身近に玉ねぎタイプの人がいるとちょっとギクシャクする。行動の伴わない言葉だけの心は空虚だが、何も語らずに心を表す行動は、掴みどころがなくて頼りない気がする。その人の行動の裏にある心に触れた時にも、返事のツールとしての言葉はあまりにも無力だ。

 家人にしても、一連の行動で、彼が如何にみこを愛しているかは分かる。分かるけれども「犬の散歩」と言われるとカチっと来るのも人情ではないか。
 考えてみれば、私の愛する犬や猫たちも、言葉は持たずにただ行動する。彼らは時に人間よりも遥かに表情が豊かだ。言語よりもずっと心に迫る非言語的な表現で、しかもほとんどの場合全力で体を使って、私たちとやりとりしてくれる。一方でヒトは怠慢なもので、そこまで心のうちが表情や体に出ないことの方が多いのではないか。他の動物より大量かつ繊細な表情筋と、さまざまな言葉を持っているというのに。

 そして時にこの心と行動と言葉の三すくみの関係が、人と人の関係をややこしくすることもある。その最たるものを見事に描き出したのがシェイクスピアの『リア王』なのだろうと今ふと思ったが、そのストーリーは壮大な悲劇である。

 頑固で気性の荒いブリテン王・リアには3人の娘がいた。それぞれの娘が独立を迎える頃、上二人の姉は甘言を弄してリア王に取り入り、領地をせしめる。しかし実直な三女のコーディーリアは父への愛をうまく言葉で表現できず、父王の不興を買って勘当され、無一文でフランス国王に王妃として迎えられる。やがて姉たちは老いてますます頑固になっていく父を疎み、父が妹姫にしたのと同様、無一文で荒野に追い出すのだ。それを知ったコーディーリアは父を助けにフランスから攻め入るが、父と共に捕らえられ、殺されてしまう。リア王はその娘の亡骸を抱え、荒野でこと切れる。

 これこそ、言葉だけの空虚な愛と、言葉なく行動で示された愛が引き起こしたすれ違いの最たるものだろう。『リア王』は親子の愛憎入り混じる一大悲劇だが、我々の人生は悲喜交々といえど、できれば悲劇は少なめでお願いしたいところだ。

 そのために、心と言葉と行動がなるべく良い形で絡み合えるよう、玉ねぎタイプの人はたまに言葉を使ってみて欲しいし、言葉を大切にするタイプの人は、相手の行動の意味をよく考えてみると良いのかもしれない。そしてどこかで答え合わせができれば最良ではないかと思う。

 とりあえず、みこは犬だけどみこなのだよ、家人。

    (文責:C.N)

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