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コラム『家族だって他人』第29回 離れても暖めて 


 成人となる年齢が18歳に改められた。それとおそらく呼応して、とあるS N Sで

「18歳の子別れが今は少ないのではないか」

という言葉を見かけて、自分自身のことや周囲の若者たちのことを思い返してみると確かにそうだな、と思い至った。

 今、私はたまたま縁あって大学一年生たちに心理学を教えるなどという大それた仕事をしている。親子ほど歳の離れた彼ら彼女らと関わっていると、かつての自分と過ごしているような気にもなり、しかしかつての自分とは決定的に異なる面も感じたりして、毎回発見があるのでとても楽しい。

 そして年齢相応の自由闊達さ、大胆さと繊細さ、優しさを目の当たりにするたび、彼らをここまで育ててきた環境の良さを思う。

 ところでこれはたまたまかもしれないし、近年の経済状況の悪化からかもしれないが、私が共に学んでいる学生で、地方から上京して一人で暮らしている学生は圧倒的に少ない。

 私自身はといえば、大学入学後1年は東京近県にある実家から通い、2年目からは無理やり家を離れた。どうしても一人で暮らしてみたかったのだ。そしてそこからは一度も実家に戻ることなく大学院まで進み、そのまま家庭を持った。もう30年近く前のことである。母親からは女子が一人暮らしをすることの外聞の悪さを聞かされ、実家に寄り付かないことについての恨み言も散々聞かされたが、父は最初に私が家を出た時にも、その後も、何も言わなかったように記憶している。

 我が国の現在の経済状況を考えると、私のように、原家族から物理的に距離を取る若者は年々減っているのではないかと思うが、親子が生活を異にすることの恩恵に、親と子ども双方が触れないのは何とも勿体無いなあと思うのだ。

 関係の質がどうであれ、親は子どもにとって、子どもは親にとって、絶大な存在であることは間違いない。その大きな存在と生活を異にすることで、見えてくるものは少なからずあるからだ。

 人間関係の中には、離れてみてどこかホッとするものもあれば、離れて恋しくなる関係もある。その両方がない混ぜになることだってある。それは親子でも同様で。

親と離れてみた時に生じるさまざまなことを経験したり感じたりすることだけでも、親から物理的に距離を取る意味はあるだろう。自分は親の庇護下から離れてももう大丈夫なのかどうか、それを知るチャンスだ。

親子のつながりを持ちつつも一人で自分と、あるいは社会と向き合い、自分に足りないもの、人に満たされてきたもの、親に守られてきた部分を感じながら生きる時間が、大人になるには必須なような気がするが、どうだろうか。

それに「離れてみて分かる親のありがたみ」とは昔からよく聞くが、親の方だって、子どもから手が離れて分かることは多いのではないか。

生活を異にしていようとそうでなかろうと、多くの場合、思春期以降、子どもは心身ともに親の手を離れて大人への道をどんどんひた走る。

宮崎駿氏の名作の一つ「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」など、その時期の典型的な巣立ちの歌だろう。地平線に隠された「君」を探しに、世界できらめく灯と自分のランプを頼りに、主人公は旅立つ。背中を押すのは父の想いと母の眼差しなのだ。

子の旅立ちの時を迎えた親は、彼らの後ろ姿を目で追いながら、去来する思いや思い出のあれこれに浸るしかない。しかしこれが親の特権、というか親へのご褒美かも知れない。

が、昨今言われるヘリコプターペアレントとなってしまったら、恐らくそれは味わえない。親としての主な役割から下りていないわけだから。

そしてこれは周囲や自分を振り返っての実感だが、離れるべき時は恐らく子どもが決める。親には多分、その時に素直に手を離す心算が必要だと思う。いざというその時までにするのは、子どもが一人でもやっていける力をつけさせておくこと。

そう考えると、親の仕事というものは、喪失を前提とした切なく甘くほろ苦いものだとも思う。自分の元から離れていくことを前提に、粛々と淡々と、日々を過ごすも同然なのだから。

逆に子どもは子どもで、走り出した背中に感じる親の視線を暖かいものと感じられれば(たとえそれが残像や淡いものだったとしても)、ストライド広く走っていけるのだろうと思う。

けれども、親と子、お互いの姿がお互いの心に、微かでも、歪まず健やかに映っているならば離れても暖められる。

私はそう信じているが、どうだろうか。
                (文責C.N)


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