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コラム『家族だって他人』第3回 曖昧のすすめ


「普通が良いんだけど、普通が一番難しいんだよ」

とは、カウンセリングをしている中で子どもらから結構よく聞く言葉である。

 普通の定義は難しい。その時代、住んでいる土地柄、所属しているコミュニティ、果ては家族内まで、そこに存在する『普通』は、様々でなかなかはっきり分からない。とても、曖昧で繊細だ。

 少し前の相談に来る子どもたちの『普通』は、集団の中で目立たず波風も起きず、仲の良い友人がいて勉強も何となくこなして、静かに生活することだったように思う。しかし、最近の『普通』は、それとはちょっと違う。

 目立ちたくはないが、無視もされたくない。クラスメイトの皆と当たり障りなく会話が出来て、皆が自分をクラスの一員として認めてくれる。そして、気心の知れた友達もいるが、その友達とも常にべったりしていたくはない。勉強は出来るに越したことはなく、たまにはちょっとした係などの仕事もこなせる。そんな学校生活を送る。

 それが最近の普通であり、改めて聞いてみると、それはかなりハードルが高くありませんか? と思ってしまう。そんな『普通』を求めてしまったら、学校生活は何とも息苦しいものだろう。

 実際、前思春期から思春期、青年期の頃というのは、自分というものがまだはっきりしない。今、この瞬間に一つ一つを探り、大人と衝突し、もがきながら自分を探していく時期だ。そんな、自分の気持ちすらもややこしく複雑な時期に、すべてを「ほどほど」という言葉の元、オールマイティに無難にこなすのは至難の業である。

 しかし、そんな曖昧模糊とした時期を生きているにも関わらず、周囲からは色々な物事をはっきりするように求められる。意見をはっきり述べなさい。思ったことを言いなさい。どうしたいと思っているのか、何をしたくないと思っているのか、どんな進路に進みたいのか「話してくれないと分からない」と、言われてしまう。

 曖昧な気持ちは、常に両価的で今、思ったことが夜になるともう裏返ってしまうこともあるだろう。

 やりたくても出来ない。望まれていることは分かっても、自分がどうしたいかなんて分からない。もちろん、曖昧だと分かりにくいからはっきりした方が良いこともある。でも、はっきりしてしまうと今度は、曖昧であった方が良かったなという部分が出てきてしまう。何かをはっきりさせるということは、はっきりさせたがゆえに自分で責任を引き受けたり、選び取らなければならなくなったりという状況を生み出すことでもあるから、恐い。それなのに、多くの大人たちはそれをすぐに要求してくる。

 そんな一人で背負うには少々荷の重い世界でも、誰かと共有できたなら、少しだけ安心した世界に変われるものだ。多くの曖昧な思いを言葉に掬い上げることがすぐには出来なくても、受け止めてもらえる経験の中から何かが形となって現れるかもしれない。時には、一緒に絵を描いたり、色を塗ったりゲームをしたりと様々な作業をする中で、何も合理的で建設的なことをしなくとも、他者と何かを共有する、その喜びと楽しさと安心感を得る。その体験こそが、子どもたちに必要なものになるだろう。曖昧なままで構わない。その言葉にならない世界をともに味わおう。

 そんな思いを抱きながら、今日もまた色々な子どもたちに会い、一緒に過ごし、カウンセリングをしている。
                   (文責K.N)



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