head_img_slim
HOME > コラム(note)のページ >コラム『家族だって他人』第41回

コラム『家族だって他人』第41回 この愛の対価


 『ある愛の詩』という半世紀ほど前に製作された古い映画に

「愛とは、決して後悔しないこと」

という名台詞がある。私は偏屈だし後悔は何にでも付き物だと思っているので、あまりこのフレーズを信用していないし、そもそも愛について真正面から語るのもあまり好きではない。それでも今回は愛について本気出して考えてみたいと思う。

 さて、愛をめぐってもう一つ、私が信用ならないと思っている言葉に「無償の愛」というのがある。大変美しく、けれど私が好きではない言葉だ。美しいからではない。その美しさゆえ、人を孤立に追い込むこともある言葉だからだ。

 無償の愛。母性愛や父性愛、家族愛などを賞賛する時に用いられやすいように思う。しかし、それは本当に無償なのだろうか。辞書を引いてみると「無償」とは

「 報酬のないこと。また、報酬を求めないこと」

とある。報酬を求めない愛。なんと美しい。

 ついでにいえば、無償の愛=報酬を求めず無尽蔵かつ無期限に湧き出る愛、と期待されているような気もする。

しかしそんなものは本当にあるのだろうか?

 私は家族や周囲の人たちを愛している。しかしその愛は私の命が尽きるまでの期限付きだし、見返りとして、彼らには幸せになってほしい。これだけ愛を注いだのだから、是が非でも彼らには彼らなりの幸せを掴んでくれないと私は大変不幸せだ。彼らが幸せになるその時その場に私がいてもいなくても、彼らには彼らの幸せを享受してほしい。

 これはどう考えても無償ではない。私の愛には対価が欲しい。但しその対価は、愛した人たちの幸せだ。私の伴侶や子どもたちだけでなく深く関わった人たち全て、もれなく幸せになってほしい。

 繰り返すが、この愛はどう考えても無償ではない。有期限で有償の貸し付け、あるいは投資と言ってもいいかもしれない。

 しかし愛が有償で何が悪いのだろう。愛に対価を求めて何が悪いのだろう。多くの親は、子どもの幸せを願いながら親になっていく。子どもの幸せが親への対価だ。

 ここで一つ断っておくと、愛しているから/愛しているならこうしてほしい、と愛(のようなもの)を理由に他者を動かそうとする行動を正当化するつもりは毛頭ない。愛を理由に何かを迫るのはすでにその時点で私の思う愛ではない。

 さらに言えば、わかることと許すことと愛することは全部違う。愛しているならわかるはず、愛しているなら許せるはず、と、全く違うことをセットにして求めるのも何か違う。

 話を戻そう。親になるとその営みの自己犠牲的な側面ばかりが注目されやすいような気がする。世間(のようなもの)から

「子を持つことを選択したならそのくらい我慢せえ」

的な言われようをすることもまだまだある。安全なところから他者に犠牲を強いることは簡単で、けれど危険なことだ。強いられた方は容易に孤立する。

 自分の幸せを犠牲にすることが愛の証ではない。親の愛は必ずしも犠牲ばかりを伴うものではないはずだ。愛にだってリターンはあって良い。いやあって欲しいとすら思う。

 親から子への愛は無償ではない。気が遠くなるほど長期の、しかもそれを貸したとしても、自分の求めるものが自分の求める形で自分に返ってくるかはわからないような、ギャンブルのような。しかし愛された子は、いつか誰かにそれを貸す。私が、あなたが、そうしたように。

延々と続く愛の貸し付け。

それでいいのではないだろうか。親だって報酬がなければ耐えられない時もある。誰かに自分の行為を認められたいこともある。そう思うことは当たり前だ。報酬なしでは人は動けない。だから私は今日も電車の中で行き合った赤ちゃん連れのママさんに声を掛ける。「可愛いですね」「夜勤お疲れ様です」と。それが果たしてその人の報酬になっているかどうかは分からないけれども。

 そうやって、長くて短い貸し付け期間を色々な人と共に過ごせる社会であってほしいと思う今日である。

                  (文責:C.N)

コラム(テキスト版)倉庫

2022.12.26 連載『家族だって他人』第48回「他者と他人」
2022.12.19 連載『家族だって他人』第47回「静かな世界」
2022.12.12 連載『家族だって他人』第46回「ゆっくり家族になればいい」
2022.12.5 連載『家族だって他人』第45回「パッケージされる体験たち」
2022.11.28 連載『家族だって他人』第44回「家族のいる場所」
2022.11.21 連載『家族だって他人』第43回「根っこ」
2022.11.14 連載『家族だって他人』第42回「星空に願いを」
2022.11.7 連載『家族だって他人』第41回「その愛の対価」
2022.10.31 連載『家族だって他人』第40回「失くしたのは何か~産まれてこなかった命について~」
2022.10.24 連載『家族だって他人』第39回「とても狭い箱の中」
2022.10.17 連載『家族だって他人』第38回「時々犬になってみよう」
2022.10.10 連載『家族だって他人』第37回「親を越えてすすめ」
2022.10.3 連載『家族だって他人』第36回 「「頑張りすぎない」ように頑張る」
2022.9.26 連載『家族だって他人』第35回「「機嫌の悪いわたし」を知ろう」
2022.9.26 三軒茶屋開室記念コラム「困れる人の傍らに」
2022.9.19 連載『家族だって他人』第34回「真実は人の数だけ」
2022.9.12 連載『家族だって他人』第33回「ポン酢しょうゆが無くたって」
2022.9.5 連載『家族だって他人』第32回「秘密は誰にでもある」
2022.8.29 連載『家族だって他人』第31回「家族を始めること」
2022.8.22 つれづれコラム「暑中お見舞い申し上げます」
2022.8.22 連載『家族だって他人』第30回「虚構の前の僕と私」
2022.8.15 連載『家族だって他人』第29回「離れても暖めて」
2022.8.1 連載『家族だって他人』第28回「家族のカタチ」
2022.7.25 連載『家族だって他人』第27回「玉虫色の僕ら」
2022.7.18 連載『家族だって他人』第26回「心と言葉と行動と」
2022.7.11 連載『家族だって他人』第25回「ある朝のこと」
2022.7.4 連載『家族だって他人』第24回「矛盾は ものの上手なり」
2022.6.27 連載『家族だって他人』第23回「愛の凸凹」
2022.6.20 連載『家族だって他人』第22回「触れる 和らぐ 眠くなる」
2022.6.13 連載『家族だって他人』第21回「母性神話をやっつけろ」
2022.6.6 連載『家族だって他人』第20回「挨拶のすゝめ」
2022.5.30 連載『家族だって他人』第19回「シングル」
2022.5.23 連載『家族だって他人』第18回「川岸の向こうに」
2022.5.16 連載『家族だって他人』第17回「ほどよく関わるということ」
2022.5.9 連載『家族だって他人』第16回「響きあう家族」
2022.5.2 連載『家族だって他人』目次2 「閑話休題」
2022.4.25 連載『家族だって他人』第15回「夢のあとさき」
2022.4.18 連載『家族だって他人』第14回「あなたはあなた、わたしはわたし」
2022.4.11 連載『家族だって他人』第13回「家族の記憶」
2022.4.4 連載『家族だって他人』第12回「休みが必要だ」
2022.3.28 連載『家族だって他人』第11回「すき間のあのコやこのコの話」
2022.3.21 連載『家族だって他人』第10回「父の苦悩
2022.3.14 連載『家族だって他人』第9回「鏡は何を映すのか」
2022.3.7 連載『家族だって他人』第8回「話をするには」
2022.2.28 連載『家族だって他人』第7回 母の憂鬱
2022.2.21 連載『家族だって他人』第6回 親ガチャと言う勿れ?
2022.2.14 連載『家族だって他人』第5回 話しをしようよ
2022.2.7 連載『家族だって他人』第4回 優しい娘たちへ
2022.1.31 連載『家族だって他人』第3回 曖昧のすすめ
2022.1.24 連載『家族だって他人』第2回 血は水よりも
2022.1.17 連載『家族だって他人』第1回 殻の中の息子たちへ
2022.1.10 連載『家族だって他人』(プロローグ)
2021.12.3 第8回 顧問なのかマスコットなのか
2021.11.6 第7回 時の過ぎゆくままに
2021.10.12 第6回 こだわりの…。
2021.9.10 第5回 出会うために、出会う。
2021.7.21 第4回 ほどよさのススメ―人間関係における圧について
2021.7.12 第3回 ケアに疲れたあなたへ
2021.6.30 第2回 気持ちに名前をつけてみる―ストレスと上手につきあうために
2021.5.21 第1回 人生のテキストと歴史という布 ―始まりの言葉に代えて―

 

お問い合わせはコチラまで

icon ご不明な点がございましたら、まずはお気軽にご相談下さい。
→お問合せフォームへ

→ご予約のお申込はこちらへ


 

ページトップに戻る