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コラム『家族だって他人』第17回 ほどよく関わるということ 


 子どもにとって、親は人生で初めての「他者」ですが、親にとってはそうではないところが、親子間の難しさの原点なのではないかと私は思っています。

 では子どもにとっての「他者」はどのように姿を表してくるのでしょうか。

 かつてウィニコットという精神科医が、ほどよい(good enough)子育ての良さを指摘しました。例えば赤ちゃんが「お腹すいたー」と思って泣くとします。しかし養育者がそれを「あ、おむつかな?」と間違えて、おむつを交換したとしましょう。赤ちゃんとしては、お腹は空いているけれどお尻周りがスッキリしたからまあ良いかとなるかもしれません。

 逆に、もし仮に養育者が赤ちゃんの希望を全て読み取って全てに適切に答えていたとしたらどうでしょう。自分の期待や希望が寸分の違いなく全て叶えられたとしたら、赤ちゃんはどう考えるか。赤ちゃんにとって養育者は自分の希望を全て叶えてくれる手足のようなものですから、赤ちゃんは世界の王様のようなものです。その世界には他者は登場せず、育つのは万能感だけ。これでは、養育者と赤ちゃんの間の境界線はどれだけ時間が経っても育ちません。

 そしてこれも仮にですが、養育者が赤ちゃんの期待や希望に全く沿わなかったとしたらどうでしょう?赤ちゃんは泣いても喚いても自分の希望が叶えられず、他者は自分を害するもの、自分は価値のないものだという自分への自信のなさと他者、ひいては世界に対する不信感しか残らないでしょう。
 ですからウィニコットは、赤ちゃんの希望を程よく叶え、期待を程よく裏切るいわば「普通」の養育者の存在を讃えました。

しかしながら、自らの手塩にかけて子どもを育てた親にとって、子どもがあっさり他者となることは少なく、むしろいつまでも庇護すべき対象として捉えられているのではないでしょうか。

だからこそ私は、このウィニコットの述べた「ほどよさ」こそが、親と子のあいだの境界線について考える時に必要な考え方だと思うのです。


 他者との関係を巡って人が傷つく時には、必要以上に自分の領域に立ち入られ過ぎてしまった結果であることがよくあります。そもそも、家族や親しい間柄と言うだけで、境界線は緩むものです。特に自他境界の緩い子ども時代や思春期の出来事であれば尚更です。

 我が子が不安や悲しみにさらされている時、それを心配するあまりに奥深くまで立ち入り、自分の経験や視点から助言し、時には叱咤激励したりしがちですが、それが結果としてその人の在り方ややり方を否定することになってしまうといったことがままあります。

 それらの何が難しいかと言えば、立ち入った側は多くの場合「善意を以て」「相手のために」そうしていることでしょう。

 立ち入った理由が善意や相手のためだったとしても、そのやり方が必ずしも相手の窮地を打開するとは限りません。時代も違えば相手も違う、何よりも実行する人が違うのです。自分がかつて経験したことと、相手が今現在経験していることには、厳然と違いがあると考えた方が賢明でしょう。いくら親しくても血がつながっていても、子どもは他者です。相手の心は相手のもの。苦悩ですら、相手のものなのです。

 でも、親しい人、大切な人を傷ついたまま放っておいて良いということでももちろんありません。境界線を挟んで、ほどよく子どもと関わるにはどうしたら良いのでしょう。

 まずは、どうして欲しいのか相手の思いに耳を傾けること。

 言葉では言い表すのが難しい時には、言葉を補いながら話を聞くのも良いでしょう。そして、相手のために自分に何かできることがあるか聞き、できることがあればそれをすること。無いと言われたら、自分はいつでも相手を見守っている味方でいることを、相手に伝わるように伝えること。

全部まとめると、相手のやり方や在り方を尊重すること、と言えるでしょう。

これらは言葉にすると大変シンプルですが、難しく、また大切なことでもあります。

「あなたのため」

と相手のせいにして深く立ち入りたくなるのは、子どもの不安に触発された、立ち入る人自身の不安の裏返し。子どもが感じている不安を自分の不安のように感じてしまって他人事ではなくなってしまうと、他人事ではなくなって、立ち入り過ぎてしまうことになりがちです。

 不安と孤独は多くの場合ワンセットでやってきます。孤独は人を食いますが、不安は孤独でさえなければ解消する道があります。

 だからこそ、不安と孤独を切り離して考え、しんどくなったらいつでも境界線の向こう側を頼れるのだと思えるよう、孤独の闇を照らす灯りになるような言葉を相手に繰り返し伝えることが重要になるのです。 

                   文責C.N

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