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コラム『家族だって他人』第33回 ポン酢しょうゆが無くたって 


「幸せってなんだあっけ? なんだあっけ?」

と、歌う昔のCMをついつい未だに思い出してしまう初夏の昼下がり。我が家には、ポン酢しょうゆは無い。
 
ポン酢しょうゆのように、目に見えて、分かりやすく、どこにでもあって手軽に手に入る。そして、便利で美味しく、ちょっと酸っぱい。こんな分かりやすい幸せがあっていいのだろうか? と思ってしまうぐらいには分かりやすい。幸せのカタチ。

「あなたは幸せですか?」

と、真正面から尋ねられてしまうと、一瞬考え込んでしまうことが多くても、日々の生活の中に、小さな幸せは案外、転がっているものだ。

お風呂上がりのビール。仕事終わりのご褒美デザート。ちょっとうまく塗れたネイル。画面越しに愛でる推し。家族との団らん。ふかふかのお布団。

こうしたものを目のまえに

「しあわせだ~」

と、息を吐く。ささやかな幸せを感じる瞬間。この瞬間というのは、案外、何かしらの緊張状態から抜け出して、ほっと一息をつくときに多そうだ。
息がつけるというのは、安心している、安心できるということ。私たちは、安心して力を抜いたときにこそ、この小さな幸せを感じられるのではないか。

そう思うと、仕事場や学校など外だけでなく、家の中でも一人でも、安心できないということがあれば、それはやはり、幸せには少し遠いのかもしれないなと思う。安心は、安全とワンセット。自分の身が安全であること。もしくは、安全だと思えること。それがまず大事である。自分の身の安全には、やはりまず、衣・食・住が整っていて、心配しないでよいこと。そして、次に自分を守ってくれる人、信頼できる人がそばにいること。それらが揃えば、言うことはない。

もちろん、守ってくれる人が物理的に現在目の前にいなくても、安心を感じることは出来る。それは、多分、過去に愛され守られた記憶があり、今現在まで、理不尽に安全を脅かされることが無かったなら、自分は世界に守られているというひどく楽観的な、でも安定した感覚を持てるものだと思う。

しかし、この現代を生きる私たちにとって、この安心と安全が当たり前にあるということは、結構、難しいことになってきている。地震や災害、病気など自然からもたらされる不可避なこともあれば、戦争や事件事故、裏切り等、人からもたらされるものもある。

安心と安全が、容易に壊され崩れ去る。それらの可能性はそこら中に散らばっている。一度、崩れ去ったものを元に戻すことは容易ではない。それでも、何もしないよりは、少しずつでも、見様見真似でも形から、新しい安心と安全を作っていくことも大事だろう。

少しずつ少しずつ、整えられるなら少しでも衣・食・住を整えて。

たとえ安心と安全がなかなか整えられなくても、せめて、力が入りっぱなしの身体に自分で気づけると良いなと思う。そして、深呼吸をするだけでもいい、少し身体が緩められたら。

 様々な世界の状況や、周囲の状況を見ていると、時々、小さな幸せを前にして、自分はのほほんとしていていいのだろうか? と思うこともあるかもしれない。

 でも、分かりやすい幸せがあって良いのか悪いのかと言われれば、あって良いのである。いや、むしろ、それこそが現代の幸せの青い鳥。色々複雑な世界と日常の中であっても、色々な苦楽、試行錯誤をしていくうちに、いつの間にか、見つかるのだ。そうして、気づかないうちに自分のすぐそば、冷蔵庫の中にあったりする。それがいい。

 と、言いたいところなのだけれど、残念ながら、我が家の料理係である私自身が、ポン酢しょうゆを買っていないから、気づこうが気づかなかろうが、我が家には、ポン酢しょうゆは無い。

 でも、冷凍庫にアイスクリームなら、ある。

 だから、とりあえず、私は幸せである。

 そう言えたら、きっと、ポン酢しょうゆが無くたって、大丈夫。


 蛇足(と、書き終わり、一人満足していたら、みことメンバーの一人に「そのCM知らない…」って言われちゃってジェネレーションギャップで腰が砕けました(苦笑)。ざっと30年以上前の明石家さんまさんのCMです。ググると出てくると思うので、ご興味のある方は検索してみてください。ポン酢しょうゆに気づく気づかない、有る無い以前に、そんなことを知らなくったって幸せってあるのでしょう。)

                       (文責:K.N)



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