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コラム『家族だって他人』第18回 川岸の向こうに 


 自分の原家族に会いに行くときはいつも、川を越える。

 なぜか、そんなシチュエーションが多い。町中を流れる小さな川にかかった橋を通ることもあれば、やや大きめの橋を歩いて渡ることもある。

 川を見ながら道を行くとき、「此岸と彼岸」なんて言葉を思い出す。ユング心理学や箱庭療法などを学びながら、よく見聞きしていた単語だからだろうか。

 日々の生活の中で慌ただしく時間が過ぎていく「此岸」から、切り取られたような別の時間が流れている「彼岸」へ足を踏み入れる。橋を渡っているときは、なんだかそんな気分になる。
 有事の時に親元へ行くことが多い自分は、いわゆる孝行娘というよりも、悪いことを宣告しに行く死神のようだという幻想を抱く。多分、誰もそんな事は思ってもいないのだろうということは、百も承知の上で。

 そして、自宅へ戻る際には、再び橋を渡り、此岸という雑踏にまぎれた日常に帰ってきて、時間が倍速に動き始めるように感じるのだ。

 そんな此岸と彼岸の行き来も、回数を重ねれば、何ということない日常の行動パターンとなる。しかし、その当たり前の行動パターンも、例えばその場に行く必要がなくなるというだけで、失われる。それは、一つの喪失だなと思う。

 何かを失うことが、自分にとって大事なものであれば「対象喪失」と心理学では言われる。古くは小此木啓吾の著作『対象喪失 悲しむということ』で書かれてもいる。

 そんな大事な「対象喪失」ではなくても、一つの行動パターンが失われるだけでも、色々なリズムがくるってくるのだ。ついでの寄り道だったカフェでのお茶や、帰りがけの買い物だってその一つ。急に空いた時間は、前はどうやって使っていたかをもう覚えておらずに、途方に暮れる。その一つ一つが行動の喪失と感じる。その喪失に気付いてしまえば、どうしたって気持ちは影響を受ける。

 そう考えると、生活様式が一変した「コロナ禍」の新しい生活様式も、十分すぎるほどの今までの生活パターンの「喪失」体験だろう。

 良いことであれ悪いことであれ、何かを一つ失うことは、色々なものが連鎖的に失われる体験であり、そこには失われたことによって「重み」が無くなることと、その無くなったことによる「軽さ」が経験される。「軽さ」は、重みが無くなった「楽さ」だけでなく「罪悪感」を連れてくることもある。時に、寂しさにも空虚感にもつながる。

 もう、前と同じ行動はしないのだという振り返りは、時に感慨深く、心に寄せる。


 日常に戻った時にこそ、その喪失は静かに、かつ密やかに個々の中に刻まれるのだ。

 私たちは、日々の生活を通して、繰り返し何度も喪失に気づき、触れ、感じ、怒り、落ち込み、悲しみ、それを受け入れる。その対象喪失の心的過程は「喪の作業」と呼ばれたりする。作業などと言われると、そういう風にするのが良いのかと思ってしまいやすいが、あくまで、これは過程である。時に何度でも繰り返される過程である。
 何かが失われた後でも、生きるために日常生活のルーティンを行えば、喪失は至る所で目の前に現れる。それが自分の行動や生活の中に組み込まれていたものが失われることであり、そのように喪失を突き付けられた時々に想起される感情、心のプロセスそのものが、喪の作業なのであろう。

 そのプロセスに一人で晒されるのが辛すぎる時、一時的に回避することもあるだろうし、誰かがそのプロセスをともに支えてくれたり、見守ってくれたりすることで、何とか通り抜けられることもあるだろう。

 そうして、川の流れが下流へと続き、いつも通りに海に向かうように、私たちの生活もまた流れ、続いていくのである。    (文責:K.N)

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