head_img_slim
HOME > コラム(note)のページ >コラム『家族だって他人』第7回

コラム『家族だって他人』第7回 母の憂鬱


みなさんの中に、こう思っている方はいないだろうか?

「最近の母はとかく悪く言われがちな気がする」

と。毒親とか、母がしんどいとか。それも、子どもが成人して、やれやれ子育てが終わったと思った頃になって、あなたのこういうところが嫌だったとか、そのせいで自分は辛かったとか言われたって、私だって頑張ったのよ、としか言いようがない。

 母業というのは、常に自分以外の家族優先だ。子どもの学校行事や塾、習い事、友だちとの遊びの約束。どれをとっても、勝手にやってね、というわけにいかない。特に子どもが小さいうちは、お友だちと遊ぶだけだって、相手方の親御さんと連絡を取り合わないといけないし、親同士の付き合いが子どもの友人関係にも影響する。中学生や高校生になっても、子どもの予定に合わせて食事の支度や送り迎えは必要だし、行動範囲が広がるので心配は尽きない。そして、保育園・幼稚園から高校まで、意外と事務作業が多い。ありとあらゆるものに保護者のサインが必要だし、子どものアレルギーや持病、予防接種の記録は何度も提出を求められる。提出先ごとにフォーマットが違うので、コピーして出すわけにもいかず、その都度手書きだ。夫がそれを横目に、なんでそんな効率の悪いことやってるの? とか言い出して、いかに学校や役所の仕事が非効率的か、なんて話をおまけに聞かされたりする。

 夫婦共働きで家事も育児も半分ずつ、という家庭もあるし、父親が楽をしてるなんて言いたいわけではない。ただ、どんなときも、それが仕事のためであっても、自分の都合を最優先には出来ないのが母親だ、と思う。もちろん、その選択をしているのは母親自身。それはよく分かっている。だから、文句は言うまい、毒母にはなるまい、と、ぐっと言葉を飲み込む。でも、来る日も来る日も自分が家族のためにしている無数の小さな仕事に、ちょっとくらい気づいて感謝してもいいんじゃないの? そう思うことは、自分勝手で押しつけがましいんだろうか? 家族のために、何年も家事という不払い労働をした挙句、毒だのしんどいだの言われるんじゃ、立つ瀬も浮かぶ瀬もない…そう思わないだろうか? 

 それでも結局、母業は、家族の笑顔や健康のためにやっていることだから、家族の笑顔や健康が報酬と言われたらその通り。だから、

「お母さんのおかげで、ぼく、私は健康で幸せです」

と言ってもらえたら、何の文句もない。でも、そんな言葉、普通は聞けない。なぜなら、子どもたちにとって、それは当たり前だから。いや、それが当たり前であることが、子どもの幸せだから。

『毒になる親 一生苦しむ子供』
スーザン・フォワード (著), 玉置 悟 (翻訳)(2001)

を皮切りに、

『母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き』
著者:信田さよ子(2008)

『母がしんどい』
著者:田房永子(2012)

などなど、2000年以降、虐待をするわけではないけれど、子どもを苦しめる親、日本においては特に母親について語られることが多くなった。それは、多くの子どもたち、とりわけ娘たちを母の呪縛から解き放つことに役立ったと言えるだろう。だが、毒になると断じられた親、特に母親たちはどうだろうか。子育ての主体は母親、という価値観が根強い日本社会において、専業主婦だろうとワーキングマザーだろうと、子育ての重責をほとんどひとりで背負わされ、必死に子どもを育ててきたことを労われる間もなく、全てを否定されたような気持ちになったのではないだろうか。

 あの時の自分は、余裕がなかった、追い詰められていた、偏った価値観を持っていた、だから子どもに悪いことをした、と振り返れるのは、今現在、支えてくれる家族がいて安心できる場所を持っている人だけだと思う。

 そして、今まさに子育てに奮闘している母親たちにとっても、「毒親」という言葉は、自分が将来子どもを苦しめ、嫌われる日が来るのではないか、という恐怖を起こさせる。自分が毒親に苦しんだ、と思っているならなおさらだ。父や母とは違う「いい親」になるんだ、と力み過ぎるのもまた良くない、となると、もうどうしたらよいのか分からなくなる。そんな母親たちを、私は思いきり抱きしめて労いたい。あなたたちは十分頑張っているし、そんなに思い悩まなくて大丈夫。

 だって、ちょっと考えてみてほしい。親に傷つけられたことが一度もない人などいるだろうか? いない、と断言してもいいと思う。お母さん大好き、という人だって、母親の何気ない言動に傷ついた記憶のひとつやふたつはあるだろうし、全くないとしたら母親を理想化し過ぎるという別の問題を抱えているのだろうと思う。私たちは誰も、完璧な親になどなれない。親だからこそ、子どもを傷つけることもある。大事なのは、完璧を目指さず、失敗したら子どもに謝って、修正すること。お母さんだから出来るはず、と自分にプレッシャーをかけ過ぎず、人に頼ることだ。

 それが出来たら苦労しないって? だとしたら、人に相談すること、完璧を目指してしまう自分や、子どもに謝れない自分と、向き合うこと、からはじめてみよう。               (文責:M.C)



コラム(テキスト版)倉庫

2022.6.27 連載『家族だって他人』第23回「愛の凸凹」
2022.6.20 連載『家族だって他人』第22回「触れる 和らぐ 眠くなる」
2022.6.13 連載『家族だって他人』第21回「母性神話をやっつけろ」
2022.6.6 連載『家族だって他人』第20回「挨拶のすゝめ」
2022.5.30 連載『家族だって他人』第19回「シングル」
2022.5.23 連載『家族だって他人』第18回「川岸の向こうに」
2022.5.16 連載『家族だって他人』第17回「ほどよく関わるということ」
2022.5.9 連載『家族だって他人』第16回「響きあう家族」
2022.5.2 連載『家族だって他人』目次2 「閑話休題」
2022.4.25 連載『家族だって他人』第15回「夢のあとさき」
2022.4.18 連載『家族だって他人』第14回「あなたはあなた、わたしはわたし」
2022.4.11 連載『家族だって他人』第13回「家族の記憶」
2022.4.4 連載『家族だって他人』第12回「休みが必要だ」
2022.3.28 連載『家族だって他人』第11回「すき間のあのコやこのコの話」
2022.3.21 連載『家族だって他人』第10回「父の苦悩
2022.3.14 連載『家族だって他人』第9回「鏡は何を映すのか」
2022.3.7 連載『家族だって他人』第8回「話をするには」
2022.2.28 連載『家族だって他人』第7回 母の憂鬱
2022.2.21 連載『家族だって他人』第6回 親ガチャと言う勿れ?
2022.2.14 連載『家族だって他人』第5回 話しをしようよ
2022.2.7 連載『家族だって他人』第4回 優しい娘たちへ
2022.1.31 連載『家族だって他人』第3回 曖昧のすすめ
2022.1.24 連載『家族だって他人』第2回 血は水よりも
2022.1.17 連載『家族だって他人』第1回 殻の中の息子たちへ
2022.1.10 連載『家族だって他人』(プロローグ)
2021.12.3 第8回 顧問なのかマスコットなのか
2022.2.28 連載『家族だって他人』第7回 母の憂鬱
2022.2.21 連載『家族だって他人』第6回 親ガチャと言う勿れ?
2022.2.14 連載『家族だって他人』第5回 話しをしようよ
2022.2.7 連載『家族だって他人』第4回 優しい娘たちへ
2022.1.31 連載『家族だって他人』第3回 曖昧のすすめ
2022.1.24 連載『家族だって他人』第2回 血は水よりも
2022.1.17 連載『家族だって他人』第1回 殻の中の息子たちへ
2022.1.10 連載『家族だって他人』(プロローグ)
2021.12.3 第8回 顧問なのかマスコットなのか
2021.11.6 第7回 時の過ぎゆくままに
2021.10.12 第6回 こだわりの…。
2021.9.10 第5回 出会うために、出会う。
2021.7.21 第4回 ほどよさのススメ―人間関係における圧について
2021.7.12 第3回 ケアに疲れたあなたへ
2021.6.30 第2回 気持ちに名前をつけてみる―ストレスと上手につきあうために
2021.5.21 第1回 人生のテキストと歴史という布 ―始まりの言葉に代えて―

 

お問い合わせはコチラまで

icon ご不明な点がございましたら、まずはお気軽にご相談下さい。
→お問合せフォームへ

→ご予約のお申込はこちらへ


 

ページトップに戻る