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コラム『家族だって他人』第20回 挨拶のすゝめ 


 私の祖父は二人とももう鬼籍に入っているのだが、二人とも90歳代まで生き延びた戦中派だった。一人は職業軍人として、一人は教育者として先の大戦を生き延びたのだが、二人とも、戦時下の話は好んですることはなかったように記憶している。職業軍人だった父方の祖父はそれでも時々酔うと話してくれていたが、それは大抵

「学歴の無い自分が、高等学校卒や学徒出陣するエリートの予科練生を一人前の軍人にしてやったんだ」

 という武勇伝だけで、戦地でどうだったのか、というような具体的な話は聞いたことがない。

 片や母方の祖父は思想的には保守的だったのだなあと今思えばわかる程度には保守的で、大変な読書家であった。私も小さな頃からかなりの本好きだったので、新書や文庫本、単行本、歴史ミステリーからルポルタージュ、戦時中の写真資料集など、祖父の書斎の棚いっぱいに蓄えられた蔵書を、祖父宅に行くたび楽しみに読み漁り、時事問題について祖父と問答を重ねるなどしていた。

 そんな母方の祖父は保守にとって敵対する思想の一つである進歩的な社会主義や共産主義についても、知らねば批判はできない、とその手の書籍を買い漁って、当時の特高に尾行されたり職務質問されたりしていたという話を笑いながらしていたことを覚えている。

 私が一部で戦闘系心理職などと呼ばれていたことがあったが、それはひとえに私個人の資質ではなく、そんなある意味対照的な祖父たちの血を引いていることによるものだと考えている。

 閑話休題。

 そんな二人の祖父が共通して繰り返し、私たち孫に言い聞かせていたのは「あいさつと礼節を欠かさない」ということだった。

「おはよう」「おやすみ」

「いってきます」「ただいま」

「ありがとう」「ごめんなさい」。

 どんなに機嫌が悪くても、どんなに疲れていても、これらの言葉かけを欠かさないこと。何故なら、明日その人に同じ挨拶ができるとは限らないのだから。人と人の関係の基本は挨拶に始まって挨拶に終わる。相手が自分の手足のように感じられたとしても実際にはそうではないのだから、そのように勘違いしないためにも、気遣いや挨拶は必要なのだ。

 異口同音に、祖父たちは言っていた。

 多分それらの言葉は、彼らの戦争体験から紡ぎ出されたものではないかと、今現在も進められているウクライナ侵攻のニュースを見ながら考えている。家から一歩出た後、自分も家族も友人も、無事に帰って来られるかわからない世界。それはどんなに恐ろしく、冷たく、不安に満ちた世界だろう。
そしてその中では短い挨拶の言葉に、どれだけたくさんの想いが乗ることだろう。

 そんなことを思いながら自分の生活を振り返ってみても、実は同じことなのだと気づく。今朝出かけて行った家族が、夜いつものように帰ってくるとは限らない。

 今日生きている人や動物が、明日も生きているとは限らない。そんな約束は、神様だってしていない。かつて日本を襲った大災害や社会を震撼させた大事件を思い出すたびに、自分たちの無力さや生活のよるべなさを思い出すことはあるけれど、それすら日常にたやすく埋もれてしまう。それに、何より、メメント・モリ(死を想え)とは言うけれど、毎日相手や自分の死を思いながら暮らすのも苦しい。

 だからせめて、亡き祖父たちの言葉を守って、挨拶は大切しようと思っている。

 日本の文化の根っこは察しと思いやりだと言われるが、それを端的に示すのが挨拶なのではないだろうか。気を遣うのは、相手を思いやってのことだ。だから、気を遣うことと優しくすることは似ている。しかし多くの人間関係の場合、家族であれ友人であれパートナーであれ、関係が深くなればなるほど、不思議なほどに気を遣わなくなっていくことが多い。しかし親しいからこそ必要な思いやりも存在する。親しき仲にも礼儀あり、とはよく言ったもので、私はその一端が挨拶なのではないかと考えている。どんなに不機嫌でも、イラついていても疲れていても

「おはよう」

と言って朝を迎える。

もし喧嘩をしてひどく傷つけあって眠ることになったとしても

「おやすみなさい」

は、きちんという。

 そういった一見他人行儀なことの積み重ねが、むしろ健全な親密さを増していくのではないだろうか。

 一方で、親密さではなく不健全な上下関係で結ばれている間柄での「ありがとう」「ごめんなさい」はタイミングがおかしく、双方向ではないことが多いように思う。家族内に加害者と被害者が分かれていて、支配–被支配関係にあるDVや児童虐待などでは特にそうだろう。加害者が被害者を散々痛めつけたあと、やたらとドラマチックに、またヒロイックに、空虚な、あるいは命懸けの謝罪や感謝の言葉が紡がれる。そしてその後また暴力の渦が待ち構えているのだ。

 そんな極端な例外は脇に置いておくとして、自分の不機嫌さの理由を相手に推察させたり押し付けたりせず、自分で処理することができるのが大人であることの一つの条件だとすれば、その第一歩として、挨拶は最も手軽な方法なのではないかと思う。

 親しい人となんだか気まずい時、話すほどでもない時、挨拶だけでも交わしてみてはどうだろう。

相手のためでなく、自分の心のために。

                   (文責:C.N)

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