コラム『家族だって他人』第11回 すき間のあのコやこのコの話
みこと心理臨床処のHPに、黒と白のわんこが常駐していることにお気づきの方はいらっしゃるでしょうか。彼女はその名も「ミコ」ちゃん、みこと心理臨床処のマスコットです。
このミコちゃん、実は私の愛犬、シベリアンハスキーの「みこ」がモデルです。以前共に暮らしていた犬を亡くして5年、「また犬を迎えたいな」と保護犬団体のサイトやブリーダーさんのHPめぐりが日課になっていました。そんなところへちょうど自粛期間に入り、ヒトの家族だけでは息苦しさを感じ始めた頃、折よく目をつけていたブリーダーさんのところで子犬が産まれたのを知り、迎えたのでした。
1歳半のみこを散歩していると、老齢犬を連れたお年寄りもいらっしゃいますが、みこと同じくらいの年齢のコやまだ子犬を連れて散歩している方に多く会うようになりました。皆さんに伺うと、やはり自粛期間に思い切って飼い始めることにしたという方が多くて、なんとなく納得します。
これまで、人がペットを求めるのはヒトの代理的存在として、例えば空の巣症候群とかつて言われていた、子どもが独立した後の親世帯でペットを迎えることが多く指摘されてきました。つまり、すき間を埋めるための存在として求められていたわけです。
しかし今回の自粛では、物理的な密を避けた結果、逆に他者との心理的な距離が変に縮まって息苦しく感じた人たちがすき間を求めてペットとの暮らしを始めたのではないかと私は思っています。ペットたち―今はコンパニオンアニマル(伴侶動物)とされる動物たちは、すき間を埋めることもできるし、ほどよいすき間を作り出すこともできるからです。
例えば、濃密な人間模様を描くドラマ、例えば倉本聰の代表作品「北の国から」では誰もペットを飼っていません。途中出てくるのは野生動物のキタキツネくらいで、いわゆるペットは出てきません。あのドラマの中に人と動物の関係が登場すると、人生の苦難や人同士の葛藤、家族や共同体の絆など、市長左派に訴えかけたいテーマが薄まってしまうでしょう。
逆に、孤独な少女の苛烈な闘いを描いた野島伸司脚本ドラマ「家なき子」では少女の相棒として犬がいました。あれは誰も信じられぬ少女の唯一の伴侶として、彼女の孤独感を薄め、視聴者が感じる陰鬱さを軽くするために配置されたように思うのですが、どうでしょうか。
このように、動物はすき間を埋めもするし作りもする不思議な存在です。昨年の自粛期間に、そのことを多くの人が思い出した、あるいは気が付いたのでしょう。
特に犬は散歩が必要ですから適度な運動になります。さらに街を行く顔見知りでもない犬好きな人たちがよく話しかけてくれます。公園に行けば〇〇ちゃんのお母さん、などと呼び合う犬友達が出来たりもします。そして家庭内では、緊張した空気が流れた時にふとしたしぐさや表情で和ませてくれたり、疲れてイライラしがちな人やきょうだいげんかで泣いている子どもたちに慰めているかのように寄り添ってくれたりというのは、ペットと暮らしたことのある人なら経験があることでしょう。
ふわふわでもふもふで、ストレートに感情を出して関わろうとしてくる割に、時には空気を読んでそわそわしたりする動物たち。
可愛いですよね。
そういえば、我らがマスコットミコちゃんも、HPの余白で元気いっぱい、可愛さを提供してくれています。HP上で見かけたら、あなたの傍らにいるペットたちのことを思い出してあげてください。
(文責C.N)
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