コラム『家族だって他人』第16回 響きあう家族
こどもたちが幼いころ、よく感じていたのは、母である私に余裕がなくなると、兄弟喧嘩が増える、ということ。今、少し成長した彼らは、私が病気になったり疲れていたりすると、急に大人びた態度で私を手伝ったり、気づかったり、してくれるようになったが、やっぱり不安にはなるようだ。
「私」というひとりの人間の心身の状態が、「子」という別の人間の心身の状態にダイレクトに影響する。そういうことが、家族のなかでは四六時中起きている。
もちろん、ひとりひとりの感情は、家族の外の影響もたくさん受けている。テストの点数が良かったかもしれないし、スポーツの試合で勝ったかもしれない。仕事で失敗したかもしれないし、友だちと喧嘩したかもしれない。気持ちが動く出来事は、星の数ほどバラエティがある。家の外で色々なことを経験して、感じて、家族は家に帰ってくる。
ちょっと悲しい気持ちで帰っても、誰かが優しく「おかえり」と迎えてくれる。それだけで、悲しみは少し和らぐ。ちょっとむしゃくしゃして帰って、乱暴な口調で家族にあたってしまって、相手も応戦してしまうと、どうでもいいような些細なことから大喧嘩に発展してしまうこともある。家族だから許してくれるだろう、という甘えもあって、お互い引くに引けなくなったりして、ね。
こうして私たちの感情は、個々人のものでありながら、常に近しい人々との間で響きあって時々刻々と変化してゆく。影響しあうこと自体に良いも悪いもない。それは必然だ。そして誰より近くにいる家族は、一番影響を与えあう(逆に言えば家族でも、物理的・心理的に離れていればそこまで影響しあったりしない)。
だから、一緒に暮らす「家族を見る」ということは「我が身を振り返る」ということでもある。相手が自分に対して優しくないな、と感じたら、自分がどういう態度だったか考えてみるといい。相手が悪いと怒っていたことも、案外自分の行いが招いたことかもしれない。そういう視点が、大事だと思う。
パートナーがイライラして子どもを怒鳴りつけているのは、自分が家事や育児をパートナーに多く負担させ過ぎていて、彼/彼女が疲れて余裕がないからかもしれない、というように。
そして、影響しあうということは、自分が変われば相手も変わる、と期待できるということでもある。自分が明るくて前向きな態度で居れば、それは家族にも響くし、温かくて受容的な態度で居れば、相手に安らぎを与えることが出来る。家族は響きあうものだから、せめて自分は心地よい響きを相手に与えたい。
そういうことを、こどもは当たり前に親にしてくれる。両親の仲が険悪なとき、子どもが一生懸命にいい子にしたり、笑顔を振りまいたりするのは、なんとか両親の関係をよくしようとしているからだ。それは、親に養ってもらわないと生きていけない、子どものサバイバルスキルでもある。そういうこどもの様(さま)に、大人が救われることも多々ある。ならば私たち大人は、どう振舞えばいいだろうか?
最後にひとつだけ付け加えておくと、家庭内でネガティブな感情ばかりが響きあう状況が続いたり、日常的に暴力が存在したり、感情を無視する/される状況が続いたりすると、家族の構成員の性格や価値観まで変わってしまうことがある。
顕著な例が、機能不全の家族だろう。機能不全家族とは、親が親の役割を果たせず、親と子の役割が逆転してしまったり、片親が正しく機能せず(依存症やDVなど)、もう一方の親に過剰な負担がかかったりするなど、家族が本来持つべき機能が働かない状態が、長期間続いているような家族のことを指す。一時的な役割の交代や、アンバランスはどの家庭でも起きうることだが、それが長期化することに問題がある。家族は機能不全状態に適応するように、考え方や行動を変え、それが固定化してしまう。特にこどもはその影響を受けやすい。
そうなってしまったら、気づいた人が外に助けを求めに行くのだ。それは家族に対する裏切りでもないし、恥ずかしいことでもない。助けを求めることで、そこから外の風が入り、家族は息を吹き返すチャンスを得るし、少なくとも助けを求めた人は、悪い響きあいから抜け出すことが出来る。
良くも悪くも、響きあう家族。あなたの家族は、今どんな響きを奏でているだろうか。
(文責:M.C)
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