「ねばならない」を手放そう
医者の不養生とはよく言ったもので、私も心理屋のくせにリラックスしたり気を休めたりするのが苦手である。何をしたら心休まる時間が手に入るかよくわからなくなることもある。せめて追い立てられるような心持ちだけはなるべく避けたいと思ってはいるのだが、仕事をいくつも抱えている時などはそうも言っていられない。大人になるとどうも自分の時間を充実させることは後回しになりがちで、仕事や家事で忙殺されていく。特に師走の今時、やらねばならないことをたくさん抱えている方は少なくないのではないだろうか。
これは以前にもこのコラムで触れたと思うが、人は誰しも、疲れてくると物事の優先順位をつけることが難しくなる。選択する行為によって脳にかかる負荷がとても大きいからだ。
そして当然「しなくてはならないこと」は当然優先順位が上にくる。次に来るのは「できること」だろうか。となると、限られた時間の中で一番後回しにされるのは、その人が「したいこと」だろう。
しかし、心が本当に疲れていたり、エネルギーが低くなっていると感じられる時はこの優先順位を逆転させてみると良いのではないか、と最近思うのだ。つまり、「したいこと」を最優先して心を充たし、少し余裕が出てきたところで「できること」をその次にやっていく。そうやって勢いをつけた上で最後に「しなくてはならないこと」に着手するのである。
もちろん、生活に必要なことはする。しかしそれだって自分や身近な人たちの心身の健康に障りがない範囲でなら、したいようにしたらいい。
私の場合「こうしなくてはならない」と思い込んでする仕事は、仕事ではなく作業になりやすい。そして大抵の場合、作業は楽しくない。作業なのだから思考停止してさっさと手を動かして済ませればいいようなものだが、それもなんだか味気ない気がして後ろめたくなる時がある。どっちやねん、とどこからかツッコミが入りそうだが、実際そう思うのだから仕方がない。ここで心理職らしく心持ちを云々と言えないのが哀しいと言えば哀しいのだが、そういう時に最近は、自分が勝手に作っていた「ねばならない」の枠を外す、ないしはぶち壊すことにしている。疲れている時に「せねばならないこと」をするのはとても苦痛であることに気づいたのだ。
いい年になって遅い気づきではあるが、自分にとっては結構な発見である。
舌は痛む歯に回る、というのはイギリスの格言だっただろうか。忘れなくてはならない、と思ったままでは決して忘れられないように、「ねばならない」を少し手放してゆるっと年末年始を過ごしてみるのはどうだろう。
(C.N)
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