『語れない死後のこと』
洗足池公園というところに勝海舟夫妻の墓があるのだが、ご存知の方はいるだろうか。私はたまたま公園に遊びに行った時に知ったのだが、そこで読んだお墓の説明が大変興味深かった。
勝海舟の妻・たみは「海舟とは同じ墓に入りたくない」と遺言し、実際に別の墓地にたみの墓があったにも関わらず、海舟の子孫が二人一緒の墓に改葬したという。同じ墓に入りたくないとはなかなかだが、勝海舟の私生活を少し調べてみるとそれはそうだろうなあと思ってしまう。
幕末の江戸を戦火から守るという偉業で知られる海舟だが、女癖は大変に悪く、複数の女性に子を産ませ尚且つ妻妾同居させていた。その中で3人の子を育てつつ姑の面倒を見たたみは、夫・海舟と同じ墓には入らず早逝した長男の隣に墓を立てて欲しいと希望していたという。夫の死後に同居を解消したい、夫との関係を断ちたいというたみの強い思いが伝わってくるではないか。
そもそも、葬儀やお墓は死者のためでなく生者のためにある。死者の弔いは生者が故人を亡くした穴を埋め、故人のいない日常を再構築するための儀式だ。故人が自ら進んで千の風になるのではなく、残された者が故人を千の風にするのである。
その方法は文化によって、また地方によっても違う。宗教は弔い方、つまり死者との付き合い方を定義するためのテンプレート作りも担っている。日本であれば、夫婦同じ墓に入るというのが伝統的な形だろうか。たみはそれに逆らってでも一緒の墓には入りたくないと、生前に表明するほど海舟を嫌悪していたのだろうというのは想像に難くない。
人生は一度きりなどとはいうが、死ぬのだって一度きりで、しかも自分も含めて誰も死んだ後のことについて語れないし聞くことができない。けれど生きているものはいつか死ぬ。それがいつになるかは分からないし、多くはそのタイミングやスタイルを選べないし、選んだ結果どうだったかを知ることはできないのにも関わらず。
子どもの死の理解というのは発達心理学における大きなトピックだが、実は大人だって死について理解しているとは言い難いのではないかと私は思う。子どもと大人の境界線の目安になるものはたくさんあるが、情報が全く無い中で自分の死後について述べること、故人と向き合うことの意味を考えるようになったら、その人は大人になったと言えるのではないか。
生きている者が自らの死後の始末について語るのは、自分のこれまでの人生について語るのと同じだ。それも、とてもシンプルな形で。
たみは別に死後自分がどうなるかを具体的に考えていたわけではないだろう。ただシンプルに海舟と同じ墓に入ることを拒否した。それはすなわち、彼女が主体的に生前の生活を拒否したということであり、海舟との関係をも断ちたかったことの表れだと思う。彼女の希望を死後他人がどうするかはあまり問題ではなく、彼女が同じ墓に入ることを拒否するほどの強い感情を海舟との生活で抱えていたという事実が残るだけで十分なのかもしれないが、どうだろうか。
私は、改葬した人たちには余計なお世話じゃないの?と思うけれども、同時に、こうして彼女のことを詳しく知らなかった私たち後世の人間にも考える機会を与えてくれたという点では、意味のあることだったのではとちょっぴり思う。
もしあの世というものがあって、そこで先に逝った人たちに会えるとしたら、たみに今どう思っているか聞いてみたい。聞くだけ野暮というものかもしれないけれど。
(C.N)
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