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『 安心と安全が謳われる社会で』


 カウンセリングを行うときに、まず私たちが一番大事にしていることは、クライエントさんの安心と安全な場をカウンセリングの中で提供することです。自分を出しても大丈夫、何を言っても安全であるという感覚無しでは、私たちの心は自由に表現したり考えたり出来ないですから。

 何より、傷ついたこころを休めるにもそれ以上に傷つけないためにも、安心で安全な場は必要です。

 しかし、「安心」っていったい何だろう? と思いませんか? カウンセリングで言うところの「安心」は、心理的な安心です。そして、この心理的な安心というのは、物理的な安心や、社会的な安心にも支えられています。

 例えば物理的な安心と言えば、カウンセリングルームという建物の中では、クライエントさんとカウンセラーだけで他の第三者に話していることを聞かれたりしないということだったり、急にカウンセラーが殴り掛かってきたりしないということだったり(これは、「安全」にも含まれるかと思います)します。

 社会的な安心と言えば、自分が思ったこと、考えたことを話して、その話したことによって自分の今の地位がはく奪されないとか、周囲との関係性が破壊されないということになるでしょう。

 さて、この安心安全という言葉は、カウンセリングの中だけではなく、この日本社会で暮らしていると良く聞かれる言葉だなぁと思います。一体、いつから、「安全安心な社会」ということが言われるようになったのでしょう?

 少し、検索をしてみると、どうやら2004年に文科省が、『安全・安心な社会の構築に資する科学技術政策に関する懇談会』という報告書を出していて、その辺りから言われるようになってきているようです。20年も前から言われていたのですね。

 近年、特に目にするような気になっているのは、やはり最近は、戦争や災害、貧困などなど、私たちの生活の根幹である衣食住を脅かす出来事が増えてきているからかもしれないなと思います。

 自分たちが安全ではない時ほど、安全ということに意識が向き、安心できない時ほど、安心を求めるのかもしれません。

 皆さんは、今、自分の置かれている場所や立場や生活などで、安心だなとか、安全だなというのを意識していますか? 特に考えたことないという場合は、意識しなくて良いぐらい満たされているのかもしれません。もしくは、意識する間もないほどに余裕が無いのかも。

 切迫した状況ではなく、ただ何となく安心できない、不安だなと思う時、今の居場所を安全だなと感じられない時は、何がそう感じさせるのか? というのを、一つずつ考えてみるのも方法の一つです。生きるのに必要な衣食住の部分なのか。それとも、周囲との関係性の部分なのか。周囲や環境と関係なく自分の心の中から湧き上がってくるものなのか。

 自分が安心できる環境や場所に少しでも良いから身を置いて、体験してみることも大事です。

 そして、もし特に安心安全と関係ないと思うものでも、こういうのが好きだなとか、落ち着くなとか、心地いいなというものがあったなら、少しずつ試しに、自分の力で自分だけのそういうものを増やしていくというのも良いのかもしれません。
                 (K.N)


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