リレー書簡コラム『拝啓、みこと心理臨床処 様』第17回「声の力」
チャットG P Tというキーワードを聞いて、私がまず思い浮かべたのが声である。
私たち心理職の仕事に大切な要素はいくつもあるが、その一つに声があると思う。ここ最近風邪やら花粉症やらのためにうまく喉が働かないことがあって、改めてその恩恵に気づいた。
コミュニケーションを分解していくと、いくつかの要素を取り出すことができる。まずは言葉、それから声と視線、呼吸。最後にタイミング、といった具合に。
今回はその中の声を取り上げようと思う。
当たり前だが、通常、声は見えない(音に色がついて見えるという、いわゆる共感覚を持ち合わせている人がいることはわかっているが、それについて今回は割愛する)。
しかし多くの人が、他者の声に温度を感じたり、そこに乗せられた感情に気付いたりしたことはあるだろう。これは動物的な感性によるところが多いのではないかと思う。というのも、我が家でのんびり暮らしているみことの名誉顧問(シベリアンハスキー3歳女子)は、大変耳ざとく私の声を聞いているからだ。
こっそりいたずらをしているのを私が見つけて低く短く「あっ」と言えばピタッと動作を止めてやや緊張した様子を見せる。逆に猫撫で声で撫でると「ここもどうぞ」とお腹を出してくる。大変可愛い。似たような経験は、動物好きなら覚えがあると思うが、これはよく考えてみるとすごいことである。名誉顧問は犬と人間という種の境を超えて、声に込められた私の意思を了解しているのだ。天才かもしれない。飼い主バカだが、たかだか3年付き合っただけの動物と人の間ですらこうなのだ。人同士だったらもっと声の読み取り精度は上がる。関係が深くなればなおさら。
私たちは知らず知らずのうちに、声の高低や大きさ、声量などを使って巧みにコミュニケーションを図っているのだ。
これはライブで声でやり取りをする会話だけではなくて、文章の読み取りや読書する時にも私たちは自分の中の内なる声を響かせていることにお気づきだろうか。
例えば、漫画や小説が映像化される時にまずニュースになるのは、誰がメインキャラクターを演じるのかということである。私は自他共に認めるオタクだが、お目当てのキャラクターが自分のイメージしたのと違う声を発することに強烈な違和感を覚える人の気持ちがよくわかる。逆に当てられた声を聞いて「ああ、このキャラクターはこういう人だったんだ」とピタッとハマることもある。これは作品を読んでいる時にその人の中で響いている声が人によって違うことを示しているのではないか。
とすれば、私たちは自分とも他人とも、声を響かせ合いながらコミュニケーションをとっていることになる。
私たちの声は容易に震え、枯れ、途切れるが、だからこそ誰かの心を揺らす。
最初の話題に戻ろう。
チャットG P Tとは言いつつ、やり取りはいわゆるネット上のチャット−文字を介したものである。そして今多くのA Iが『話す』時に使われるのは合成音声である。ニュース動画などを淡々と読み上げるA Iに『声』はまだない。その響きに少し気持ちが反応したような気がすることもあるにはあるが、それは多分読み上げられる内容によるものだと私は知っている。
声を持っているということが、今の段階で人がA Iに優っているところだと思う。
いつかA Iも声をもち、それを震わせ、誰かの心を揺らす時は来るのだろうか。もし来たとして、その時人とA Iはどんな関係になっているのだろうか。
ちなみに、私が推している声優さんは体調不良でも、声帯の、声の出る部分を探してお仕事をするそうである。すごい仕事だ。
(文責:C.N)
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