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リレー書簡コラム『拝啓、みこと心理臨床処 様』第12回「攻撃性スイッチ?」  


攻撃性の表出に、外向き(他害)と内向き(自傷)の2種類があると仮定して、それが入れ替わるスイッチが有るのでは?というお話でしたね。

そういうスイッチの存在を私は感じないのですが、見せかけ上のスイッチは学習と成長だろうと思います。

というのは、攻撃性の行方の話を聞いて一番に感じたのが、臨床フィールドの違いだからです。私が臨床で出会う中で一番若い層が高校生ですが、当然彼(彼女)らは、殴る蹴るといった攻撃性を学校で表出することはありません。街なかや友人関係の中で出す人もほとんど居ない。そんなことをしたら集団の中にいられない、もっと悪ければ警察につかまってしまうということを、理解しているからです。

園児や小学生が暴力を外に向けてしまうのは、その結果がどうなるか、暴力が与えるインパクトを十分に理解していなかったり、衝動を抑える力が不十分だったりするからでしょう。だから、見せかけ上の、他害/自傷スイッチは学習と成長、だと思います。

けれど、見せかけの適応を剥がして内部を覗けば、年齢が上がったからと言って、自動的に攻撃性が内向きになるわけではない。不登校や引きこもりで、家庭内では暴力を振るっているケースは男女ともにたくさんあるし、暴力で表出しなくても攻撃性が外に向かうという意味で、他罰的な思考の人は男女ともにいます。というか、自傷もしていて、他人に対しても攻撃的な人、というのもいますよね? 私は結構出会っている気がします。

物理的な暴力が効果的ではない、自分にとってリスクがありすぎると分かれば、口とか、経済力とか、人間関係とか、相手が確実にダメージを受ける方法を選択するだけなんじゃないでしょうか。

暴力を振るうケースが男子で多いのは、DVの加害者が圧倒的に男性が多いのと一緒で、シンプルに力の差と、ジェンダー(社会的な性差)によるものだと思います。

暴力で向かっていっても、相手にやられることが明白なのに、それでも暴力に訴えるとしたら、それは攻撃性の発露ではなく、社会的な意味があるか、その人の信念や正義にかかわる場合でしょう。

というのが攻撃性のスイッチについての私の解釈です。私の臨床は言語面接がほとんどなので、攻撃性の高い(それによって本人や周りが困っている)人への対応としては、「その攻撃性の背後にある怒りや傷つきにちゃんと名前をつけて扱えるようにしてあげること」を目標としつつ、まずは攻撃しない/されない関係を築くことでしょうか。

遊んでいると勝手に子どもが良くなっていくのは、その場で安全に攻撃性を表出することも、攻撃性を出さずに人とつながることも、良い自分のイメージを再構築することも、自然に出来るからじゃないでしょうか。

攻撃性を出しちゃいけないと思えば思うほど、自傷したり、無自覚に攻撃的になったりしちゃうので、言語面接だったら、「安全に怒りを抱えられるようになる、つまり怒っても大丈夫と思えるようになることを、めざしていくんだよ」と話しますね。

さて、お答えになったでしょうか。
            (文責:M.C)


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