リレー書簡コラム『拝啓、みこと心理臨床処 様』第4回「さてさて、」
さてさて、お手紙コラムが一巡した。
往復書簡ならぬリレー書簡というアイデアを皆で出した後、私が最初に形にして、手紙風にしたためてみた。そうしたら、後の二人が案外真面目に、その書式に則って続きを書いてくれたことに、感心してしまった。さらに、質問で広げた話題は全部回収してくるスタイル、お二人ともそつが無い。
このお手紙風やり取りが、きっと定型になると読者の皆様も思っておられるかもしれないが、実は、最初の書簡たちはプロローグでしかない。
さあ、ここからが、ゲームの始まりです。
というわけではないけれど、お手紙コラムは、ここからが本番である。形式を大きく転換させていこう(因みに、手紙形式にしてみたら、誰もタイトルをつけなくなってしまって、一回ごとに記事としてupしにくいという理由から、転換させるわけではない)。
各々、好きな感じで、続けてもらえると、良いなと思う。
さて、本題に戻ろう。お二人のコラムの中に、色々な表現があったと思う。その中で多用されている、たとえ話や比喩。具体例と言ってもいい。それらは、生き生きと文章の中に息づいて、私たちのやり取りが目に浮かぶようだった。
たとえ話や比喩というのは説明を分かりやすくするためのものであるが、なんだかとても不思議な作用があると思う。たとえ話が、聞き手にフィットする表現だったりすると、いつの間にか皆が使い始めて、全体に広がっていく気がしている。
古くからあることわざもその一種ではないか。何となく誰もが一度は、どこかで聞いて知っているものという。
例えば、明けない夜は無いし、最近は気づけば皆、小舟に乗って大海に漕ぎ出したり、漂ったりしているし、神っぽいなって思うし、少年は大志を抱いたりしていることを。
このようにして、いつの間にかその時だけの個別性を持った例えだったはずが、個々に使われ始め浸透し、皆の中の共同意識になっていく。そして、それは、気づけば存在を忘れてしまうかのように意識しなくなり、意識下で通奏低音のごとく響いていくのである。
私たち3人の中にもこのような通奏低音がきっとある。それがどのようなものか? というのを今までのプロローグである3つの書簡から感じ取っていただければ幸いだ。
それらの空気感を、3人の間に漂う関係性を感じながら、これから続く、リレー書簡を読んでみてほしい。みこと心理臨床処の目指すカウンセリングルームの雰囲気を伝えるだけでなく、人と人との関係性がどのように紡がれているものなのか、一つの参考にしてほしいと願っている。
そのようなことを考えつつ、今回のこの手紙の筆を置こうと思う。ここから先は、何がリレーされていくのか、楽しみである。
(文責:K.N)
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