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リレー書簡コラム『拝啓、みこと心理臨床処 様』第8回「本気で遊ぶ」  


 箱庭ですか。いいですね。意外に思われるかもしれませんが、わたし砂のメンテナンス好きなんです。ふるいにかけて、ゴミとかチリとか取り除くの。

 開室前、今は大人向けカウンセリングルームしかないけれど、いつか子ども向けのプレイルーム欲しいね、と3人で話したのを思い出します。この少子化の時代にそれが叶うのだろうか、そしてニーズはあるのだろうかと思わなくもないけれど、でも欲しいんだよなあ。

 今の自分に何が足りないってそれはたくさんありますが、まあ暇と遊びが決定的に足りない。本気出して遊びたい。

 治療としての遊びでも一個の大人としての遊びでも良いので遊びたい。
治療的な方について言えば、私が尊敬する某先生は、子どものそばで本気で遊んでいるうちに勝手に子どもが治っていくという伝説をお持ちです。もちろん私はそんな神技的な技術は持っていないけれど、スクールカウンセラーとして通っている小学校で子ども達と関わると「やっぱり遊びって偉大だな」と思うことしきりです。

 遊びには意味があって、子どもごとに遊びの中身は変わってくるわけですが、私がこの子にどうだろう、と思って試したものがピタッとハマったり、逆にその子の力や個性が見事に出たスタイルの遊びと出会ったりすると、内心ガッツポーズして小躍りしてしまいます。そういう時は展開もスムーズで早くて、あっという間に子どもたちは飛び立っていくので、大変清々しい気持ちで見送っています。

そういう治療的な遊びはものすごく楽しいのですが、まだ足らん。まだやりたい。

 さらに最近は、何も考えずにへっとへとになるまで遊びたいという欲があったりなかったり。何も考えずに遊んだのって、直近でいつだろう、とか。

 そもそも大人にとっての遊びってなんでしょうね。何をしたら遊んだことになるのだろう。大人用語としての「遊び」には余裕とか隙間とかそういう意味での“遊び”と、読んでそのままの遊びがありますが、後者は、大人には意外と難しいような気がしています。その理由としてはいろいろあるでしょうが、まず第一に大人は遊ぶための時間を捻り出して遊ぶので、元を取らねば!というさもしい気持ちが先に立つというのがあるからではないだろうか(私だけかもしれませんが)。テーマパークに行ってもこんなに待つの!?となると考えただけでもげんなりするし、一人でSwitchやったりしててもまあ楽しいは楽しいんですが、没入できないんだよなあ。それは意欲の問題か、年齢の問題か、ライフステージの問題か、それとも遊ぶのも仕事のうち、という因果な職業についてしまったからなのか。

 大人にとってというか自分にとっての「遊び」とは何なのか、すっかり迷子です。二人は何して遊んでますか。

 あ、でもそういえば、今は自分の中でやや下火ですが、2年前、唐突に焚き火とそのそばでの飲食がしたくなって、ちょこまかデイキャンプやコテージ泊をしていたのですが、あれは楽しかったなあ。

 焚き火楽しいよ焚き火。みことキャンプ、行きませんか。時間作って。

                      (C.N)


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