無駄を愛してる
年末が近づき、忙しい日が増えてきました。うっかり、疲れでダウンしたりすると緩いコラムを書きたくなります。そう言うわけで、今回はこんなコラムです。
無駄なものが好き、というよりも、愛してる。愛してるというよりむしろ、無駄なものなんて無いって思っている。もし、無駄と思えるものがあったとしても、それは今の自分には必要ではなくなったというだけなのだろうと。無駄だったわけじゃない。
なんてことを思いながら、自分が作る箱庭のことを話そう。まず、その前に箱庭の説明から。箱庭というのも幾つかあるが、ここで話す箱庭は心理療法で使うもののことだ。砂の入った内側が青く塗られた箱の中に、色んなミニチュアを好きに置いて、何かを作ったり遊んだりする。心理学者のユングが発展させて、日本には河合隼雄によって導入された。
自分が作りたいもの、ぴったりとするものを選んで箱庭を作るのは、それだけで楽しい。また、自分の中にある言葉にならないものをイメージし表現できるのがまた良い。
この箱庭、時々、自分の中を整理することもかねて、たまに自分で作ることもある。作っている時に私がよくやりがちというか、出来上がりをみて気づくのは、いわゆる無駄なもの、人によってはゴミとして捨てられているのだろうなというようなものも、箱庭を作る時に使っていることだ。
たとえば、キラキラのモールがあるとする。そのモールも使うが、キラキラしたモールは取れやすい。パラパラと細かく取れて落ちているものも使って箱庭を作ったりする。他にも、ちぎれてしまった花びらや木の破片もそういうものの一つ。
人によっては壊れているもの、取れてしまったものは要らないものとして、そのままあること自体良くないと判断して捨ててしまっているものだと思う。そういうものでも、使うのが好きなのだなと、自分で箱庭を作った後に改めて感じる。
自分が作る時ばかりではない。棚の奥底に押し込まれていたよく分からない藻?みたいな草みたいなものを表現していたであろう残骸などを、フィギュアを整理するついでに当たり前のように前に出してきてまとめておいておくと、これまた普通に使ってくれる子がいたりする。そんな使い方があったのか! と感心することも多い。
このように、私にとって意味が無かったものが一瞬にして他の人の手によって意味を持ち輝きだす瞬間がある。この瞬間は、本当に素晴らしいと思う。自分の価値観が、完ぺきではなく、ただの思い込みであることを思い知らされる瞬間。面白くてワクワクする。世界はまだ、自分では分からないこと知らないことがあるのだと実感する。というと、少し大げさに聞こえるだろうか。
しかし、自分だけの世界が、人がいることによって、少しずつ広がっていくというのは楽しい感覚の一つだと思う。
話しが、逸れた。
話しを、少し戻そう。無駄なものというのは、このように面白いもので、ある時急に無駄だと思っていたものが無駄ではなくなったり、他の人の手を介して光り輝きだしたりもする。
でも、それは、無駄だって思いこんでいただけで、最初から無駄じゃなかったのだ。いや、必要不可欠なものではない無駄なものだからこそ、ふとした瞬間に、必要になったり光り輝けたのかもしれない。
そう考えると、人は成長したり、変わったりしていくものなのでその時々で、大事なもの、必要なものは変わってくる。そうしたら、それをある程度整理することは必要だろう。でも、整理したときにそれが無駄だったと思わなくて良いのだと思う。
そして、私自身は、無駄を愛してる。その、切迫しない余白が好きだから。
それにしても、箱庭、みこと心理臨床処のカウンセリングルームにも導入したいと思いつつまだ、出来ていないのが残念でならない。実はフィギュアは少しずつ集めているので、導入の夢は諦めていない。
(K.N)
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