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暇が好き


 こうも暑い日が連日続くと、自分が子どもの頃の夏休みを思い出す。
暑い夏、麦茶をテーブルに置きながら、ソファーに転がってゴロゴロしながら、過ごしていた。

 何をしていたかというと、あまり覚えていない。何もしていなかったんじゃないだろうか? とにかく暇だなぁと思っていたことは覚えている。

 今ほどデジタルコンテンツがあふれているわけではなかったので、とにかく学校が休みの日中が暇なのだ。ファミコンゲームも、クリアしてしまったものをそれほどやりたいとも思わず、アニメなどのテレビ番組は大概、夕方からである。時々はプールに行ったりもするけれども、毎日行くほどでもなく。夏休みの宿題など、暑いのに進むわけがない。冷房も、無いわけではなかったけれど、今ほど積極的に使う時代でも気温でもなかった。

 アマプラもオンラインゲームもスマホも無いとなると、後は図書館に行って本を借りてきて読んでいたのではないかなと思う。しかし、大体、本を借りてきても当時一回に借りられる冊数は6冊まで。それこそ、2,3日で読み終わってしまうのだ。

 そして結局、暇になる。

 暇で暇で仕方がなかった記憶だけが残る長期休みは、小学生の頃以外にない。

 大人になったというか中学生高校生になって以降は、なんだかんだとやることがあって忙しくなった気がする。忙しくなったと言っても暇になるととりあえず、自分の部屋のベッドに寝っ転がって好きな音楽を聴いていたと思う。

 今はスマホを見たり、ネットを見たり、ゲームをしたりと、何となく時間を過ごしている。

 そして、案外、そういう怠惰で無為な時間を過ごすことが、そこまで嫌いじゃない自分がいる。

 もちろん、本来ならもっとやるべきことはいっぱいあって、それをこなしていれば、今よりはもっと違う自分がいたかもしれないと思うこともあるけれど。

 同時に、無理をしなければなれない姿が、本当に自分が望む姿と言えるのかと自問自答してしまう自分もいる。そして、やっぱり好きなことを出来る自分でありたいと思うし、無理するよりは無駄が好きなのである。

 こんなことを書いているが、多分私のことをよく知る人たちがこのコラムを読むと、少し驚くかもしれない。何かというとタイパとコスパを重視した発言も私は多いので。

 しかし、自分の中ではそんなに相反した考えではない。暇な時間を過ごすために、必要なところで時間を無駄にしないようにしていると言っても過言ではないからだ。

 無為で無駄な時間というのは、一体なんだろう。ゆっくりのんびりしている時間のことだろうか。それとも、ただの無駄遣いなのだろうか。

 自分でも特に何もしていないと感じるとしても、その時間は無くならないし失くさない。つまり、必要としているのだと思う。そこにどんな意味があり、どんな価値があるのだろう? そんなことを、ゴロゴロしながら考えてもよさそうだと思う。

 そうすることで、光が当たる何かがあるかもしれない。

 少なくともそんな暇な時間を好きでいる自分、というのは、案外悪くないよなと思えるのである。
                 (K.N)

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