ものさしをたくさん
自分はどんな人間なのか、みなさんは明確に言えるだろうか。18歳以下の読者諸兄諸姉におかれましては、深く考える必要はないので大人になってから再読してほしい。
これは青年期を超えた大人だけが考えることのできる贅沢な大問題なのだ。
自分について「自分はこういう人間である」と分かることを自己同一性の達成といい、これは青年期に達成すべき課題であると精神分析家エリクソンは考えた。
よく考えてみると「自分はこういう人間である」と規定するための価値基準=ものさしはたくさんある。たとえば私なら、まず人間であること、家族の有無、中年期であること、公認心理師であること、これまでの経験などだろうか。今ぱっと思いついたものを挙げたのだが「人間であるかないか」などは大変ざっくりしていて我ながら大雑把だなと思わないわけではない。それでも自分にとっては大切なことだ。
青年期までに達成すべきなのは、このものさしを一つでいいから手に入れることだと思う。そして青年から大人になるということは、ものさしの数を増やすことなのではないだろうか。理由はシンプルで、このものさしは自分だけでなく他者を測る時にも使うからである。
他者も自分も、多面的な上に日々変わっていく。それは多分、モノの価値が多様なのと同じだ。モノを測る価値基準はたくさんある。使い勝手や美しさ、値段、歴史的背景などなど。ものさしが多ければ多いほど、見いだされる価値は多面的になる。これは人もモノも同じだ。
ちなみにかのローランド氏の「俺か俺以外か」という名台詞があるが、あれは言い得て妙で、何よりも「俺」であることに価値を置いているのが素晴らしいと思う。
閑話休題。
価値は多面的で多様なものだから、価値を見出すものさしは多いほうがいい。価値基準が多様になればなるほど、人生は豊かになる。
だって絵に金銭的な価値しか見出せない人と話すよりは、それだけではなくて作者やその絵の持つ力についても知る人と話す方が断然楽しい。おまけにこのものさしは無限に増やすことができる。見知らぬものさしを持っている人と出会えば、新しいものの見方を得ることができるのだ。
願わくば、楽しくものさしを増やしていきたいものだと思う。
(C.N)
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