波に漂う
とりあえず、乗れるときは波に乗ってみる。
を、こっそりと信条にしている。
元々、不精かつ保守的な人間なので、自分だけでは日々に変化があまり出ないし、そのことに何にも不自由を感じない。でもそれだと、自分に広がりが生まれにくいし、苦手なことにトライする機会も無いのだ。
別にそれはそれで、良いと思うが、私の中に相反する気持ちがある。それは、新しいことは面白い。経験したことが無い面白そうなことは、経験してみたいという欲である。
ついでに、心身共に気合が充実している時は、苦手なことにもたまには挑戦しなきゃという思い付きの向上心が出てきたりもする。ついでなので、自分から進んでするというより、そういう波が来たなら、乗ってみるかという感じになる。自力で始めてみようとはならない辺りが、自分の腰の重さを表わしていると思う。
少し話が横に逸れるが、皆さんは比喩ではなく、実際に海の波で遊んでみたことはあるだろうか?
波打ち際に近い、小さな波でも、波に飲み込まれて流されてみると、洗濯機の中かしら? というぐらい勢いの強さで揉みくちゃにされるような感じになる。波に巻き込まれずにひょいっと乗り越えてしまえば、感じる機会はない程度の波だ。それでも、その強さに驚く。飲み込まれるのではなく、少し上の方を一緒に波に乗っていけると、巻き込まれた時のような強さは感じないのだけれど。
なんとなく、比喩として「波に乗る」場合でも、この違いに気をつけたいなぁと思うのだ。自分の外がわの要因でやってきた色々な機会。チャンス。ピンチ。
飲み込まれてしまえば、その強さに翻弄される。波が来ても乗らなければ、何も起こらない。しかし、その波に乗れたなら、ちょっといつもと違う景色が見られる。
それって、ちょっと良い。
と、思い大体、タイミング的に無理してないと思う波には、なるべく乗るようにして現在に至るというわけだ。
例えば、一人では行かない海外旅行も、友達が行くと言えば一緒に行きたいと表明してみたり。仕事では、依頼が来たら、自分だけでは普段はしないような依頼でも受けてみたり(無理です~ということももちろんあるが)。食べたいメニューが売り切れの場合に、いつもと一味違うメニューを頼んでみたり。
それらが、当たりのこともあれば、やっぱりやめておけばよかった…と後悔したりもする。そのどちらも、経験という意味では新鮮で、醍醐味だったりする。
まあ、いつも波に乗ってばかりも疲れてしまうので、程々に波間に漂い、気が向いた時には、来た波に乗ってみるぐらいが、無理が無くて良いのではないかとは、思っている。
とりあえず、波間に漂いながら、力を抜いて日常生活を送れたら。そして、時に波と共に進むのだ。
(K.N)
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