労いは大切、あるいはケガをした話
先日ケガをした。そこそこ痛いしとっても不便だが、いい経験にはなったので今回はそのことを備忘録的に書いていこうと思う。
なんで怪我をしたかといえば、駅の階段の最後の一段を降りる時、急にバランスを崩してコケた拍子にくるぶしの出っ張った骨のてっぺんを剥離骨折したんである。コケた瞬間「ぺきょ」と音がしたのは覚えているが、多分あれが、骨が折れた音なのだろうなと今は思っている。捻挫かな、と捻挫経験者の私は勝手に自己診断し、家の近所のドラッグストアで湿布薬を買って貼ってみた。
が、よくなるどころか腫れてくるので整形外科にかかったところ、見事に剥離骨折していた。その場であれよあれよという間にギブスが巻かれ、けが人の一丁上がり。松葉杖までその場で借りて、どこからどう見ても大怪我した人である。
そしてこの松葉杖がやっかいで、まあ上手く歩けない。使い始めて10日位経っている今は慣れたが、それまでは苦痛でしかなかった。普段取らない姿勢を取るととても疲れる。そのくせうまくバランスが取れないし、速く歩けない。速く歩けないどころかどう考えても遅い。今まで小走りで行けたところが走れない。
これは相当にストレスだ。今は多少速く歩けるようになったが、それでも普通に歩けている時の倍は時間がかかる。つまりそれまでに築き上げてきた自分のリズムが完全に変わってしまう。それも強制的に。
それに加えて、すべての環境がバリアフルなんである。バリアフリー化?バカを言ってはいけない、何だこの障害だらけの駅は!街は!
あちこちにある何でもないような段差、ちょっとした階段、全てが脅威だ。スロープでもすれ違うのにいちいちヒヤッとする。ラッシュの電車に揺られるのも怖い。エレベーターは遠かったり、定員が少なくて見送ることもザラだ。両手がふさがっているから雨の日は出かけられないし、買い物かごが持てないし買い物袋も持ちにくいのでスーパーでの買い物は出来ない。コンビニで二品くらい買うのが精一杯である。
じゃあ家で大人しくしてればいいと思うかもしれない。私自身、寝るのもだらけるのも大好きだが、他に選択肢がなくてそれしか出来ることがないからダラダラすることの、居心地の悪さったらない。
何をしてもしなくても、とにかくストレスがたまるのだ。
と、ここまでケガをした我が身の不便さを書き出してみたが、けが人生活で得たものもある。それは労いのありがたさだ。大学で教えている学生さんたちは労い上手だし、電車に乗れば席を譲ってくれる人は後を絶たないし、席を譲ってくださった上にご自分が降り際「お大事にね」と声をかけてくださったマダムもいた。とにかくみんなが優しい。これだけ不便なのに得した気分になるほどみんなが優しいのだ。
不便さを感じるということはその分ストレス値が高いということでもある。ストレッサーである不便さを減らすのは第一のこととして、不便さにさらされている人を労うのも大切なのではないだろうか。ちょっとした言葉掛けでも構わないし、言葉はなくても態度や表情で伝わる労いもあると思う。
けが人でいる間に、いろんな労い方を学んで、その後に生かそうと思っている今なのである。
最後になったが、読者諸氏におかれましては、考え事しながら階段を降りるのは避けていただきたく。
(C.N)
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