卒業したいもの
春である。これを書いている現在、2回も雪が降った変な3月だが、暦の上では春である。春といえば出会いと別れ、卒業シーズンということで、今回のお題は「卒業したもの・したいもの」である。
これまでを振り返ってみて、卒業したもの、手放せたものはあまりない。しかしこれはそろそろ卒業したいと思っていることがある。それは何か。
「埋めること」である。
わたしは実は空白が苦手だ。空いているところがあるとどうしても埋めたくなる。
故に頭を空っぽにして云々というのも苦手だし、手持ち無沙汰になるのも苦手だ。本を持たずに電車に乗った時などは軽い地獄である。車内にある活字という活字を目で追う羽目になるからだ。有用な情報でないことも分かったうえで、デジタルサイネージや中吊り広告、壁の広告などを、視界を埋めるためだけに目に入れなくてはならないこの煩わしさよ。そういう時に限ってスマホは電池がないし、Bluetoothイヤホンは自宅に忘れている。
何なら空腹時にも何かで埋めたくて仕方ない。寝る前に小腹が減ったら皆さんどうされているだろうか。健康的な生活を送っている方は、たぶんそのまま寝るのだろう。わたしは不健康にも、いろいろ足掻く。梅干しとかかつお節とかローカロリーなものを口に入れてみたり、白湯や水を飲んでみたりするのだ。お腹を満たすためではなく、空腹を埋めるために。
ちなみにかつお節を口の中でふやかしたあとにお湯を飲むと、そのへんのインスタントのお吸い物よりも口の中が旨味で一杯になる。足掻いている中で見つけた技だ。お試しあれ。
閑話休題。
空白を埋めるという行為そのものには何ら問題はない。よろしくないのは、埋めても何も埋まらない、埋まった気がしないということだ。つまり、埋めても埋めても空しいし、虚しい。何か違うな?欲しいのはこれじゃないんだよななどと思いつつ、何とか埋めようとしても、一向に埋まらない。つまり徒労である。徒労だけならまだいい。トホホで済む。上手く空白が埋まらないと、落胆してしまう。
先日もまさにそんな事があった。出先でのことである。その日私は昼を食べ損ね、少しお腹が空いていたが、その時食べたいものは特に思い浮かばなかった。しかし時間的に今食べないと用事の最中お腹が空く。そこでふと通りすがったコンビニの店頭に「クイニーアマン新発売」とあるのが目に入った。クイニーアマン!デニッシュ生地の片面をキャラメリゼした大好きなパンである。大好きではあるがその時は別に食べたいものではなかった。お昼にするには甘すぎるし、好きなタイプのクイニーアマンかどうかもわからないが、時間もないし、と買って食べた。結果。見事に外した。私の知るクイニーアマンとはかけ離れていたし(そりゃコンビニパンですしね)、今食べたいのはこれじゃなかった…!と食べてから気づいたのである。空腹は何となく埋まったが、満足はもちろんしなかった。満足を追求した結果でなく、埋めることを優先した結果がこれである。
自分で書いててなんだかアホみたいな話だが、ご理解いただけるだろうか。
シルヴァスタインの絵本「ミッシング・ピース(邦題:ぼくを探しに)」みたいな話だが、まさに、である。欠けたところのあるパックマンのような形をした「ぼく」が欠けたところにはまるピースを探して紆余曲折の旅をするというあの話の結末は、欠けたところをそのままにして気ままに転がっていくというものだった。やたらめったら空白を埋めようとしなければ、いつかあの境地に届くのかもしれないしそうはならないかもしれない。しかしお試しとして、空白をとりあえずのもので埋めようとしないことを心がけてみようと思う春である。
(C.N)
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